2025年11月、鳥羽で開かれた第20回日仏海洋学会シンポジウムで、里海をテーマに口頭発表をする機会をいただきました。漁師としてでも学芸員としてでも研究者としてでもなく、「ひとりの海辺の住人」としてご紹介した口頭発表の内容を書き起こし、一部追記しながら残しておきたいと思います。少し長くなりますが、お付き合いください。
フリーランス学芸員のはじまり
少しだけ身の上をお話しさせていただくと、とある海辺の博物館で働いたあと、2012年から2024年まで、フリーランスの学芸員として、そして漁師、水中カメラマン、潜水士、教壇にも立ちながら暮らしてきました。90分 × 5コマを1日という講義の受け持ち方、漁から戻って長靴と合羽を車に積んだまま、その足で講師姿に身をやつすなんて働き方、今では考えられません。
・・・若かったなァ(笑)
さて、舞台となる伊勢志摩は、干潟、磯、そして人の暮らす島々。豊かな沿岸生態系に恵まれた、全国でもっとも私有地が多い国立公園に位置しています。貝塚から和歌に絵葉書、浮世絵、昔話といった言い伝えだけでなく、今も残る漁法や習慣、伝統、神事、観光と漁業が主要な産業となっている様子などからも、伊勢志摩の人々がずっと海とともに生きてきた様子をうかがい知ることができます。
しかしながら、水面下の様子、そこで何が起きているかということを知る人は、それほど多くありません。
今日お話しするのは、政策としての里海づくりではありません。伊勢志摩という土地に生きる人、記憶、自然、そして海の学びや生業を通して見た、「暮らしとしての里海づくり」です。
諦めなかった漁師、誠也さんのこと
仕事柄、これまでにたくさんの人に出会ってきましたが、人見知りな性格ということもあってか、本当に心に残る人はわずかです。
そのひとりが、原条誠也(はらじょう・せいや)さん――「誠也さん」です。
ヒトエグサ(いわゆるアオサ)と真珠の養殖を営み、英虞湾再生協議会の代表も務めた人で、2000年代の志摩市の里海づくりを牽引したキーパーソンでしたが、残念ながら2021年に若くして亡くなりました。
日に焼けた肌、いかつい顔。朝4時に電話をかけてきては、「起きとるか?」(寝てます、モチロン)「ちょっと手伝ってくれや」(イヤだと言いたい・・・)と、平気で言う人でした。私が学生の頃からの付き合いで、正直、どうしても「ノー」と言えない相手でした。市役所や漁協に乗り込んでは「あれ、どうなっとるんや」と詰め寄る。扱いにくい、おっかない、ややこしい人でしたが、どうしようもなく憎めない人でもありました。余談ですが、よく採れたてのアオサを持ってきてくれて、私が留守だと郵便受けにぎゅうぎゅうに押し込んで立ち去るチャーミングな?方でもありました。
伊勢志摩では、藻場や干潟の再生を中心に、多くの里海プロジェクトが立ち上げられてきました。かつて環境省も関わり、誠也さんも地域の漁業者として、当事者のひとりとしてそこにいました。けれど、事業が終わると、その話題は薄れていきます。どうやって取組を継続させるのか――これは、今でも私たちが直面する大きな課題です。
市長の交代とともに志摩市の里海推進の拠点は閉じられ、中心にいた市役所のキーパーソンも役場を離れました。外から見れば、里海づくりは止まってしまったように見えました。2012年に博物館から独立してフリーランスの学芸員となった頃には、ちょうど伊勢志摩で「里海」を口にする人がいなくなっていくタイミングでもあり、私自身、里海は終わったものと感じる時期でした。
それでも、誠也さんは朝4時に電話をかけてきました。英虞湾の様子を語り、「フリーター生活はどうだ?」「今日の漁はどうだった?なんかええもん獲れたか?」「そっちの海はどんなんや?」「ちょっと今からこっち来て手伝えるか?」と尋ねる。そして、どうすれば里海づくりをもう一度呼び戻せるか、ずっと考え続けていました。たぶん私だけでなく、多くの研究者や地域外の人にも電話をかけまくっていたのだと思います。全体を見渡せる、情報を取りに回って更新し続け、勉強し続ける稀有な漁師でした。
そして、残念ながらやはりひとりはひとり。誠也さんが亡くなったあとは、里海づくりを後押ししてきた地域の声も、消えてしまいました。
ちなみに、市役所を離れたUさんは、いまとてもお元気そうです。志摩自然学校に移り、シーカヤックでかつての里海づくりの舞台となった英虞湾でガイドをされています。会うたびに若がえり、楽しそうで・・・霞ヶ関界隈に飛び込んで人相が悪くなった私(元からという巷の噂もあるが)とは正反対です。
古鷹丸を受け継ぐ ―― 誠也さんの遺したもの
歳月が流れ、里海のことを私もほとんど忘れかけていました。そんなある日、誠也さんの親父さんから、こう尋ねられたのです。
「あの船、お前が継がんか?」
それは、英虞湾で30年以上、数多くの里海活動にも使われてきた誠也さんの船でした。いまも作業場の桟橋に浮かんでいる、その名も「古鷹丸(ふるたかまる)」。
ちょうどその頃、私は絶滅危惧種に関するあるプロジェクト(後述)の資金にあてるため、自分の漁船を手放したばかりでした。多くの方の支えのおかげで、クラウドファンディングと寄付で約250万円を集め、古鷹丸の船体を潜水調査もできる漁船へとレストアすることができました。エンジンは30年もので、そろそろ載せ替えが必要という宿題は残されていますが、それでも、誠也さんが大切に手入れしてきたおかげで、いまも力強く動いています。
道具(有形)と記憶(無形)が溶け合うこと、受け継ぐこと――それが行政の里海事業が終わったあとも「里海づくり」として生き続けさせる、地域に根ざした営みなのだと気づかされたことでもあります。
鳥羽市 海のレッドデータブック ―― 海のなかの記憶と記録
戦後の高度経済成長期以降、日本各地の沿岸環境は著しく改変されてきました。生物多様性は劣化し、絶滅の危機にある種が増えています。それでも、伊勢志摩の海はいまだ豊かな藻場と希少な生きものたちが息づく、数少ない海のひとつです。
たとえば、希少な褐藻ナガシマモク(Sargassum segii)を紹介したい。伊勢志摩の固有種で、独特の葉の形をしています。かつては三重県南部の磯に広く分布していましたが、いまではごく限られた場所にしか残っていません。(人知れず絶滅したと思われていた、この海藻がまだ生き残っていたこと、未報告の地でこの存在を発見したのは何を隠そう私です。と、いうのはささやか自慢です。)
豊かな伊勢志摩の海辺でも、2017年までは美しい海中林が見られ、海女さんたちが活発に潜っていましたが、海の姿はすっかり変わりつつあります。そんな最中、自分自身にとってはフリーランスになって10年ほど経った頃ですが、鳥羽市の観光課が「水面下の世界をもっと理解し、地域の政策や海洋リテラシー教育に活かしたい」と動き出しました。
なぜ「レッドデータブック」なのか?
市役所から相談された当初の計画ではモニタリング事業についてでしたが、「なんのためのモニタリングか?」「どのような成果として残すか?」と考えて提案したのが、鳥羽市 海のレッドデータブック2023の製作です。その企画、取りまとめ、調査、執筆、校正を担当し、できあがった本は海の博物館のショップやオンラインで販売されています。
この本の背景に、自分だけでも海の博物館時代(2010–2012年)に約296か所、独立後のフリーランス時代(2012–2024年)に約635か所――合わせて900か所以上を調べ、日々の漁の合間にもデータを採り続けてきました。論文・口頭発表・連載・コラムなど約30本を世に出し、テレビの撮影や取材にも応じてきました。
また、RDBとしての成果以外にも、スナメリの混獲を防ぐための共同研究、大腸がん細胞を特異的に抑える新しい生物毒をアメフラシから見つけた共同研究、ヒジキの移植実験、第4期海洋基本計画に向けた政策提言への参画、ECOP JAPAN(Early Career Ocean Professionals JAPAN)への参加……。なによりも海に関わる先人たち、伊勢志摩で活躍する研究者からの膨大な情報、知見、報告等々も含めて、ひとつの絵姿にまとめる必要がありました。それらをまとめたのがこのレッドデータブックです。
関連リンク
- 販売ページ(海の博物館 オンラインショップ)
- 販売ページ(Amazon)
- コンセプト等(笹川平和財団 海洋政策研究所 ニュースレター)
- 鳥羽市役所 プレスリリース
- データベースについて(鳥羽市)
- データベースについて(JAMSTEC)
鳥羽市RDBが生んだ、もうひとつの財産
調査や事業を通じて築いた「人のネットワーク」も、大きな成果でした。多くの若い研究者と出会い、ともに働くことができました。正直、この図鑑を私ひとりで完成させることは絶対にできませんでした。執筆者のほとんどが優れたダイバーで、いまも地域のモニタリングを続けています。研究者だけではありません。地域の漁業者、海女から「これなに?」「食える?」「珍しい?」と写真が送られてくるネットワークの存在も貴重で、定期的に驚かされる情報が届きます。
「絶滅危惧種を並べれば、豊かな海は戻るのか?」
そう問われることがあります。答えは「ノー」です。ある特定の種を紹介し、保護したところで、健全な海は取り戻すことができませんし、それは本当の意味での里海づくりではありません。
日本のほとんどのレッドデータブックは、希少種だけに焦点をあて、その写真を表紙に載せています。けれど、本当に豊かな海は、生態系全体、生息環境、そして海とつながる文化や伝統に支えられているはずという考えのもと、この本を「リスト」ではなく「物語」として構成することを試みました。
表紙に、生き物の写真をひとつも載せていません。代わりに洲浜や荒磯といった沿岸の風景や多様な生物をモチーフとして描き、すべての生きものがつながっていることを象徴させました。掲載したのは429種。海棲哺乳類、魚類から、貝類、甲殻類、その他の無脊椎動物、海藻、海草、そして少しの深場の生きものまで。他の場所ではすでに姿を消した種を、ここ伊勢志摩で「生きたまま」見せられること――それこそが、私たちの海の豊かさの証です。
地域の言い伝えや、生きものの古い利用法といった伝統知、多様で豊かな生き物たちが作り出す海の中の景色も、自身が撮りだめた水中写真を使って盛り込みました。これは単なる保全の本ではありません。意思決定のための道具です。種を守るためだけでなく、海とともに未来を形づくるために、少しでもたくさんの情報が必要なのです。
科学と地域の知恵が出会ったとき
小さな話をひとつ。私たちは、この小さな魚――タナゴ――は鳥羽の田んぼ脇の限られた場所にしかいない、と考えていました。ところが地域の声に耳を傾けると、ある人が代々語り継がれてきた古い話を教えてくれました。
「あの魚は、昔はもっといろんな所におったよ」
その話を頼りに、もう一度出かけました。すると――これまで確かめたことのない場所、水路があることすら知らなかった場所で、タナゴが見つかったのです。他地域から誰かが放したものではないかを確かめるため mtDNA(シトクローム b 領域)を調べたところ、自然の個体群に属する可能性が高いと分かりました。地域の言い伝えは正しく、科学がそれを証明したのです。
春を告げる小さな生きもの
もうひとつ。春になると、メガロパ(カニの幼生)が一斉に現れます。漁師たちはこれが大好きで、そっくりのルアーを作ってメバル(地方名でワガ)を釣りに行く人もいるほど。鳥羽の人にとっては春の訪れの合図です。そして博物館で働き始めた私の最初の仕事は、この幼生が一体何者なのかを突き止めることでした。
これは「ふつうの図鑑」ではないのかもしれない
少し欲張りに聞こえるかもしれませんが、レッドデータブックを絶滅危惧種だけに限るのは、もったいないと感じます。それに私は、こうも思うのです。読み手が「想像し、考え、感じる」余白を、簡単に奪ってはいけない。予想通りではあっても予想外もあり、「分かりやすく」感動させすぎること、教えすぎることのリスクにも、気をつけるべきだと。
だから、私のつくった図鑑は、もはやレッドデータブックではないのかもしれません。少し違う何か――好奇心を刺激し、地域の行動を生み出すための何か。そうであってほしいと願っています。
世界へ ―― 小さく始めて、世界へ届く
2024年6月、うれしい出来事がありました。この図鑑が、印刷物としてだけでなく、デジタルデータベースにもなったのです。JAMSTEC(海洋研究開発機構)の協力で、データは BISMaL に収録され、ユネスコの世界的なシステム OBIS ともつながりました。
鳥羽の生きものと生息環境は、世界中の研究者から見られるようになりました。小さな地域プロジェクトとして始まったものが、世界の知のネットワークの一部になったのです。里海づくりは、小さく始めても、世界へ届く。こうした取り組みは当時では世界初の事例となったと聞いています。
伊勢志摩の里海づくりは、消えてしまったように見えるかもしれません。でも私は、それがまだ生き続けていると信じています――人を通して、記憶を通して、あの船を通して、そして鳥羽市RDBとデータベースを通して。
未来への夢
最後に、ひとつの夢をお話しさせてください。この5年、機会があるたびに語ってきた夢です。でもこれは、私ひとりの夢ではありません。「自分たちの地域に、希望が育つ場所がほしい」と信じる、個人的な夢でもあります。
鳥羽のある島では、何十年にもわたって採石が続いてきました。山ひとつ消えたと聞くことから察するに、環境への影響は明らかで、もう元には戻らないでしょう。けれど私は、それを「新しい何かのチャンス」だと見ています。
もしその場所を、漁師、海洋リテラシー教育、研究、エコツーリズムの拠点に変えられたら? 大型クルーズ船の港をつくり、雇用を生み、人と海を結び直せたら? そのなかで一部で良いから森里川海を再生することができたら? かつての日本庭園のように海を借景とした見下ろしの庭なんてものができたら?――未来に向けた、新しい地域再生のモデルとして――
夢物語に聞こえるかもしれません。けれど、夢は私たちに進む方向を与えてくれます。鳥羽市RDBには、データだけでなく、里海づくりの背景にある物語、景色、アイディアが詰まっています。もしそれが、どこかの誰かが自分の里海づくりの旅を始める助けになるなら――その本は、すでに役目を果たしたのだと思います。
おわりに
今回の書き起こしが、世界のどこかで沿岸域の保全や里海づくりに取り組むあなたの仕事に、何か役立つものを残せたなら幸いです。
海を生かし続けましょう――事業を通してだけでなく、人を通して。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。